LEARNY BIRDS NIGHT PARTY vol.5 ~ハンセン病の現場から・西尾雄志さん~
イベント概要
開催日時:2007-06-09
開場時間:17:30
開演時間:18:00
開催場所:ダイニングバー Tijuana

イベント詳細
西尾 雄志
(早稲田大学 社会科学総合学術院 助手)

略歴:
1974年生まれ。
早稲田大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学。
(特活)IDEA(共生・尊厳・経済向上を目指す国際ハンセン病患者・回復者協議会)ジャパン理事。
笹川記念保健協力財団「ハンセン病対策委員会」委員。
※ 以下、WASEDA.COM「ハンセン病がアジアをつなぐ」より抜粋
http://www.asahi.com/ad/clients/waseda/opinion/opinion146.html?navi

社会貢献を通じた大学の国際交流
  思想家の鶴見俊輔は、ハンセン病療養所入所者の詩の指導に熱心に取り組んだ詩人である大江満雄のアイデアとして「ハンセン病がアジアをつなぐ」との考えを提唱した。
ふつう、国際交流を考える際、学術や文化、経済発展などの「ポジティヴ」なイメージをもつものを通じて、国境を越えたつながりを実現すると考えるのが一般的である。しかし鶴見のこのフレーズは、「ハンセン病」という「ネガティヴ」なイメージをもたされているものを通してこそ、真の交流がもたらさせる、ということを突いている。
 日に日に大国としての存在感を増す中国に対し、日本では「政冷経熱」と呼ばれた時期を経て、連日抗日デモが報道される日々が続いた。歴史認識というきわめてデリケートな問題を内包する隣国中国との関係を考えるにあたって、教育機関である大学はどう向かい合うべきだろうか?
  早稲田大学では、教育、研究に加え、「社会貢献」も大学の重要な使命であるとの認識にたち、それを推進する機関として2002年4月平山郁夫記念ボランティアセンター(以下、WAVOC)を設立した。そしてWAVOCは、国内のみならず広く海外でも社会貢献活動を展開している。これを大学の国際交流という観点から見るならば、早稲田大学は、教育交流、研究交流に加えて、「社会貢献を通した海外交流」にまで手を広げようとしているといえる。

ハンセン病とは
  WAVOCでは2003年度より、「ハンセン病問題支援プロジェクト」を立ち上げ、協定校である中国中山大学の学生有志とともに、中国広東省の町はずれにあるハンセン病療養所にて、これまで3回、プロジェクトを実施している。
 ハンセン病とはかつて「ライ病」と呼ばれ、天刑病・業病・遺伝病などといった誤った認識の下、過酷な差別にさらされてきた病である。しかしハンセン病の感染力、発症力はきわめて弱く、乳幼児などの抵抗力のきわめて弱い人が、保菌者と濃厚な接触を持続的に持たない限り感染することはない。また今日ではWHO(世界保健機構)が推奨する治療法により、ハンセン病は半年から一年の治療で完治する。
  またテレビ報道の影響からか、ハンセン病にかかるとすべての人が顔や手などに重い後遺症をもつイメージがあるが、これは誤解である。現在重い後遺症を残したハンセン病の元患者は、発症時にいい治療法がなかった、もしくは治療が遅れたなどの理由から、ハンセン病の治癒後も後遺症を残してしまったに過ぎない。今日では早期に治療すれば、ハンセン病は後遺症をまったく残すことなく完治する。

中国ハンセン病療養所 「別れ」の象徴から「出会いの場」へ
  WAVOCのこのプロジェクトでは、中国中山大学の学生有志とともに、10日程度中国のハンセン病療養所に泊まりこみ自炊しながら、トイレの建設や屋根の修復工事に汗を流す。「中国のハンセン病療養所」といっても、そこにハンセン病患者は一人もおらず、すでにみなハンセン病は完治しており、またそこはどこから見ても中国の「のどかな片田舎」にしか見えなかったので、徐々に日中の学生たちは、療養所のことを単に「村」と呼び、そこにいる「ハンセン病元患者」のことを単に「村人」と呼ぶようになった。
  過去三度、日中から学生が定期的に訪れることで、在園者たちも徐々に心を開いてくれ、つらい自分史を学生たちに語ってくれるまでになった。実の母親から自殺してくれと言われたこと、病気が原因で故郷を追われ、ホームレスになってしまったこと、どれもにわかに信じられないような言葉が、次から次へと口からこぼれる。
  しかし「村人」たちは翌日には、作業にいそしむ学生たちに、ふかし芋だの、干しライチだの、ニワトリだのを、屈託のない笑みを浮かべて差し入れてくれる。
そんな毎日をへて、人と人とのありふれた交流ができてくる。「ハンセン病元患者」という匿名も、「村人」という匿名も、徐々に消えてなくなり、黄さん、周さん、呂ばあさん、という、ごくありふれた関係がそこからうまれてくる。
 「ハンセン病療養所」 かつてそこは、日本においても、中国においても「別れ」の象徴だった。家族との別れ、故郷との別れ、愛する人たちとの別れ。しかし今、この「別れ」の象徴だった場が、日本の若者と中国の若者、そしてハンセン病回復者との出会いの場となっているのだ。

真の国際交流とは
 冒頭に、「大学の国際交流」と題したが、実は大学と大学との交流などありえない。国家と国家との交流もありえない。大学とハンセン病回復村との交流もありえない。交流とは、具体的な人間の個人的な出会いとその継続でしかありえないのだ。
日中の歴史問題を考える際も、これら個人的な交流を通した信頼関係を土台にしない限り、相互理解などありえない。個人的な相互理解を土台にしない議論は、相互の感情的対立の溝を深めるばかりである。
 「中国のハンセン病療養所」と呼ばれるところに暮らす「村人」たちは、日中の学生たちにその「出会いの場」を提供してくれた。このプログラムに参加した中国中山大学の学生二名が、先週来日した。「療養所で出会った日本の仲間にまた会いたい。そして日本のハンセン病療養所を訪問してみたい」と。 鶴見は「ハンセン病がアジアをつなぐ」と述べたが、「ハンセン病療養所」とは、人と人とを結びつける土壌として、きわめて栄養分の高いものであるようだ。